永日小品(えいじつしょうひん)--昔
2020-12-03 10:14 | 编辑:川外外语培训中心 来自:未知自分の家はこの雲とこの谷を眺めるに都合好く、小さな丘の上に立っている。南から一面に家の壁へ日があたる。幾年いくねん十月の日が射したものか、どこもかしこも鼠色ねずみいろに枯れている西の端に、一本の薔薇ばらが這はいかかって、冷たい壁と、暖かい日の間に挟はさまった花をいくつか着けた。大きな弁べんは卵色に豊かな波を打って、萼がくから翻ひるがえるように口を開あけたまま、ひそりとところどころに静まり返っている。香においは薄い日光に吸われて、二間の空気の裡うちに消えて行く。自分はその二間の中に立って、上を見た。薔薇は高く這い上のぼって行く。鼠色の壁は薔薇の蔓つるの届かぬ限りを尽くして真直に聳そびえている。屋根が尽きた所にはまだ塔がある。日はそのまた上の靄もやの奥から落ちて来る。
足元は丘がピトロクリの谷へ落ち込んで、眼の届く遥はるかの下が、平ひらたく色で埋うずまっている。その向う側の山へ上のぼる所は層々と樺かばの黄葉きばが段々に重なり合って、濃淡の坂が幾階となく出来ている。明あきらかで寂さびた調子が谷一面に反射して来る真中を、黒い筋が横に蜿うねって動いている。泥炭でいたんを含んだ渓水たにみずは、染粉そめこを溶といたように古びた色になる。この山奥に来て始めて、こんな流を見た。
後うしろから主人が来た。主人の髯ひげは十月の日に照らされて七分がた白くなりかけた。形装なりも尋常ではない。腰にキルトというものを着けている。俥くるまの膝掛ひざかけのように粗あらい縞しまの織物である。それを行灯袴あんどんばかまに、膝頭ひざがしらまで裁たって、竪たてに襞ひだを置いたから、膝脛ふくらはぎは太い毛糸の靴足袋くつたびで隠すばかりである。歩くたびにキルトの襞が揺れて、膝と股ももの間がちらちら出る。肉の色に恥を置かぬ昔の袴である。
主人は毛皮で作った、小さい木魚もくぎょほどの蟇口がまぐちを前にぶら下げている。夜煖炉だんろの傍そばへ椅子を寄せて、音のする赤い石炭を眺めながら、この木魚の中から、パイプを出す、煙草たばこを出す。そうしてぷかりぷかりと夜長よながを吹かす。木魚もくぎょの名をスポーランと云う。
主人といっしょに崖がけを下りて、小暗おぐらい路みちに這入はいった。スコッチ・ファーと云う常磐木ときわぎの葉が、刻きざみ昆布こんぶに雲が這はいかかって、払っても落ちないように見える。その黒い幹をちょろちょろと栗鼠りすが長く太った尾を揺ふって、駆かけ上のぼった。と思うと古く厚みのついた苔こけの上をまた一匹、眸ひとみから疾とく駆かけ抜けたものがある。苔は膨ふくれたまま動かない。栗鼠の尾は蒼黒あおぐろい地じを払子ほっすのごとくに擦すって暗がりに入った。
主人は横をふり向いて、ピトロクリの明るい谷を指ゆびさした。黒い河は依然としてその真中を流れている。あの河を一里半北へ溯さかのぼるとキリクランキーの峡間はざまがあると云った。
高地人ハイランダースと低地人ローランダースとキリクランキーの峡間はざまで戦った時、屍かばねが岩の間に挟はさまって、岩を打つ水を塞せいた。高地人と低地人の血を飲んだ河の流れは色を変えて三日の間ピトロクリの谷を通った。
自分は明日あす早朝キリクランキーの古戦場を訪とおうと決心した。崖から出たら足の下に美しい薔薇ばらの花弁はなびらが二三片散っていた。
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